新西国第二十四番 行沢 全尭院
のをもすぎ さとをもすぎて なかやまの てらへまいるは のちのよのため
(西国二十四番 中山寺御詠歌)
【宗旨】曹洞宗 行沢山 全尭院
【本尊】釈迦牟尼仏 【御祭祀】聖観世音菩薩
【別当】尾花沢市行沢311
住職 軽部雪庭 рO237−22−0803
【由緒】
伝説によると全尭院はその昔、上行沢村にあって天平九年(七三七年)将軍東人が陸奥から出羽に通ずる道を開いた時、その最難所・吹越峠の山麓に行き来の人の安全を保つために出来た部落に建てられた一院であると言われています。また行沢には北条時代(一二二〇年頃)明監寺と明光寺という寺が建立され、全国からの参詣者が絶え間なく翁山の梺には数多くの宿場ができ大変繁栄していて、時の副元帥・北条時頼公も諸国修行の折立ち寄ったといいます。しかし正嘉二年(一二五八年)全村焼き払われ当時の跡形は全く無くなってしまいました。その後、村は現在の所に移り村民の勧請により円照寺四世明室存光大和尚開山以来(一五一八年)曹洞宗となり、明監寺より親鸞上人作の地蔵尊が伝わっていたが昭和の大火で今は伝説となってしまいました。