新西国第二十一番  押切 観音堂 

 かかるよに うまれあうみの あなうやと おもはでたのめ とこえひとこえ

                           (西国二十一番 穴太寺御詠歌)

【御祭祀】聖観世音菩薩                     

【御朱印所】二十三番 高橋 東照寺                

               рO237−23−3223

【由緒】                             

 昔、芭蕉も歩いたという山刀伐街道に位置する押切地区は、交通上大変な難所で地域住民は非常に難渋していました。前山に立つ当観音堂は明治二十年頃、丹生村巣林寺の五十嵐住職が交通の安全祈願と住民の観音信仰の求めに応じ、当地の地頭・森山文七と相談して建立したといわれています。

 当時の観音堂は、天井絵をほどこした立派なもので、昭和初期に文七家の主が西国二十一番穴太寺の御砂を戴いて来て観音堂の玄関口に納めたといわれています。その観音堂も昭和十九年の冬に大雪の為つぶれてしまったが、観音様は奇跡的につぶれず残っていました。

現在の観音堂は、昭和二十七年の八月に地元の観音講員が発起人となって再建されたものです。
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