新西国第三番  田澤 高松院

 ちちははの めぐみもふかき こかわでら ほとけのちかい たのもしきかな

                          (西国三番 粉河寺御詠歌)

【宗旨】曹洞宗 田沢山 高松院

【本尊】釈迦牟尼仏 【御祭祀】千手観世音菩薩

【別当】大石田町田沢1653−1
    住職 阿部孝義  рO237−35−4950

【由緒】

 高松院は、慶長二年(一五九七年)旧田沢村上高野の金森能登守源武頼の子孫森久右エ門が黒滝向川寺十六世材菴春梁大和尚を招いて開いた寺です。江戸時代には「向松院」と呼ばれていたと記録されています。当院は最初坊崎に創建されましたが二度移転し一六八〇年頃、現在地に移りました。

 しかし、弘化年間(一八四五年頃)火災にあい本堂諸仏・経典等の一切を焼失し、その際焼失をまぬがれた庫裡を増改築して本堂とし現在にいたっています。

本堂に安置する千手観世音菩薩は、二十世泰岳孝順和尚によって祭祀されたもので、また二十一世天山孝祐和尚は観音巡礼に熱心で、新西国札所にも近在の巡礼者をつれて何度となく巡礼をしていました。                        
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