22.「どうせ」「せめて」



 平成24年4月から尾花沢市の芭蕉・清風歴史資料館に副館長として週3日ですが勤務していますので、
よろしかったらおいでください。希望があれば説明もいたします。
芭蕉関連の資料もあり、「俳諧」(はいかい 江戸時代は「俳句」とはいいません)の世界も見学できます。
 
さて、その「俳諧」の江戸中期の宗匠である滝瓢水(たきのひょうすい)の句に
浜までは  海女も蓑着る  時雨かな
という句があります。
 
 海女は海に入るのが仕事で、濡れるのは当たり前。
でも、その海女でさえ海までは濡れないように蓑を着て行くというのです。
いい仕事をするために、今は、体をいたわることが重要であり、
おろそかにしてはいけないということです。

 私たちの毎日の生活の中で、
「どうせ○○になるんだから・・・△△なんかしなくてもいいんじゃない」
的なことって少なくないのでは。
「どうせまた使うんだから片づけなくていいんじゃない」
「どうせ汚れるんだから毎回きれいにすることないんじゃない」
という具合。
 極端なことを言えば、「どうせ死ぬんだから、今、楽しめればいいんじゃない」というふうにね。
  基本的には、「それじゃ駄目だよな。」と考えるんじゃないかと思うんだけれど・・・。

そんな時、「ウェブ石碑」というホームページの中に、
ビートたけしさんの名言というのが目に入りました。

≪ どうせ死ぬんだから、せめて生きている間は楽をしよう、という考えは僕の場合逆でさ、
どうせ死ぬとき楽になるんだから生きている間はとことん辛く生きよう、
というのが僕の考え。 ≫ 

だそうです。
 
 ビートたけしさんの若い時の漫才で「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」という、ツービートの代表的なフレーズがあるけれど、毒舌漫才師(世界のキタノにこの肩書は失礼と知りつつ)ならではの
人間としての生き方を示していると感心しました。

 たけしさんのように「辛く、大変なこと」に身を置くまではできなくとも、
「どうせ○○だから△△はしない」ではなく、
「生きている間は、せめて○○だけでもさせていただく」という考え方で
毎日生活できればと思ったところです。

住職合掌

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