20.「 直心是道場 


≪ 以下は、平成二十二年 年明けのホームページに掲載した内容です ≫

平成二十二年が、皆様にとりまして
すばらしい年となりますようご祈念申し上げます。

さて、新年を迎えると「今年こそは○○をやるぞ」と
目標を掲げる方も少なくないでしょう。
私もそれなりの目標を考えます。
目標に向かって努力することはとても大切なことですね。
しかしながら、三日坊主で終わってしまうことも、これまた少なくありません。
正月だから*レ標を立てるという時点で、意志が弱いのかもしれません。
目標はいつでも立てられるわけですから・・・。

ここに書きました「直心是道場」(じきしん これどうじょう)とは、禅の言葉です。
これは、お釈迦様の時代、インドの都市ヴァーサーリーに住む
維摩居士(ゆいまこじ 大富豪で学識すぐれた在家信者)が発した言葉です。

ある時、修行者がヴァーサーリーのような
都会の喧騒の中では修行ができないと考え、
修行に適した静寂の地を求めて町の城門を出ようとしたところ、
城門内に入ろうとする維摩居士に出会った。
「どちらからいらっしゃいましたか」修行者が尋ねると
「道場から来たよ」と維摩居士は答えます。
道場から≠ニ聞いて、修行者は弾んで尋ねました。
「道場はどこにあるのですか」
その時、維摩居士は
「素直な気持ちがあれば、どんな所も道場、修行の場だよ」と答えました。

これが「直心是道場」という意味です。
静かな場所でなければ修行はできないと考えているようでは駄目なのだ。
素直な気持ちで、真剣に取り組む姿勢がなければならない。
道元禅師は、「修行の先に彼岸(ひがん 理想の世界)というものがあるのではない。
修行するその中に彼岸というものが存在する」とおっしゃられております。

曹洞宗の坐禅は「黙照禅」(もくしょうぜん)といって、何も考えない。
悟りを得るための坐禅ではない。
坐禅をする姿こそが仏の姿であるというのです。
私たちは、仏性(ぶっしょう 仏様の心)を持っているのです。
その心を出し惜しみせずに、日々の生活の中で出していくことが必要なのです。
正月だからではなく、毎日の生活の中で、素直な気持ちになって、
仏性を持っている者が行うべき行為を考え、実践していきましょう。

住職 合掌
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