15.「 脚下照顧 」




 昨年の暮れ、お檀家の方から電話がありました。
仏教や歴史に興味のある方ですが、「曹洞宗のお寺さんに行くと、
玄関に「脚下照顧」の文字が書かれた同じものが見られるのはどうしてか?」ということでした。
 上の写真の「脚下照顧」のことです。
これは、10数年前になるでしょか、山形曹洞宗青年会の記念事業を行った際に、
記念に管内寺院に配付されものだと記憶しています。
当時の大本山総持寺貫主梅田信隆猊下の揮毫によるものなんですよといった内容でお答えをしました。
東照寺には本堂と庫裏の玄関にそれぞれ置かれています。

 「脚下照顧」の意味は、その方はご存知ですので説明をしませんでしたが、
ここで、ご説明をしたいと思います。

 文字づらを見て、そして玄関に置いておくのだと言えば、
「足元の靴がどうなっているか振り返って見て、揃えなさい」ということですよね。
そう、それで間違いではないのですが、もっと深い意味があるのです。

 人間は二つの自分がいると言われますね。 「真面目な自分」と「不真面目な自分」。
朝、「もう少し、このまま寝ていたい」という自分と、
「早く起きれば気持ちがいいし、ゆっくり出かけるまでの時間がとれるじゃないか」といった、
二つの自分との葛藤が生じてきます。
「不真面目な自分」を「真面目な自分」が抑えて生活できれば素晴らしいわけですね。
 脚下とは自分の足元、「我が身」、「我が心」を振り返れということです。
他人の悪口はつい口から出てしまいます。不真面目な悪い自分は簡単に人を批判してしまいます。
自分は他人の批判(悪口)ができるほどの人間なのか、
自分はどうなんだと振り返らなければならないと戒めているのです。

 こういった心を持つことはなかなか難しいですね。
よく新聞に、小学校で誘拐から逃れるための防犯訓練の記事を見ます。
これは、人を信じるなと教えているんですよね。
犯罪が多いから、防犯の関係からすればしかたがないのでしょうが、
こういった教え方は、人を批判してしまうことが前提となってしまうのではないでしょうか。
そこで、家庭でのフォローが重要だと思うのです。
知らない人は全て悪い人ではないわけで、困っている人に手助けできる人になるためには、
家庭教育で人間として行動すべき良し悪しを教えることが重要なのです。

  「脚下照顧」、靴を揃えることを教えられる家庭、
「いただきます」「ごちそうさま」を教えられる家庭が、少なくなっているのです。
家庭教育は大人たちが教科書であり、また同級生でもあります。 一緒に学ぼうではありませんか。
 家庭教育は宗教教育と切り離せません。まずは、靴をそろえることから・・・。

副住職 合掌

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