7.「温かいお膳」


「 陰 膳 」

昨年、北朝鮮に拉致された5名の方が、祖国、日本の地を踏まれた。
万感の想いを込めて飛行機のタラップを降りる姿を、テレビ画面で何度見たことでしょう。
しかし、いまだに多くの方々が、生存を確認する事もできず、
疑惑の中、待ち焦がれる家族の思いが報道されています。

20年前、北朝鮮に拉致され、その後、「死亡した」と伝えられている
有本恵子さん(行方不明時23歳)の母嘉代子さん(76歳)が、
恵子さんが拉致された時に生まれた方たちが、成人となった1月13日(成人の日)に
こんな話をされていました。

「生きていてほしい。元気でいると思い、毎日、陰膳(かげぜん)を作って待っているのです」と、
子を思う母の気持ちが伝わる話でした。

「仏壇に食べ物を供えても、食べる人もいないし、なんのためにあげるのか」
「世の中には、飢えで苦しんでいる人もいるのに、そんなもったいないことはするもんじゃない」
こんなことを言う人(思っている人)も、いますね。


「供え物は減らないぞ」

同じような疑問を曹洞宗の大本山「総持寺」開かれた、太祖「瑩山禅師」に質問した人がおります。

その方は、時の天皇、後醍醐天皇です。
後醍醐天皇は、深く仏法に帰依し、研究をされていた方です。
その天皇が、瑩山禅師に10カ条の質問をされた中のひとつがこれと同じだったのです。

「人は亡き父母のために霊膳やお茶などを供えるが、少しも減っていない。それでも供養になるのか」
というものです。

瑩山禅師が答えて曰く、
「梅の花は壁を隔てても香りがしますが、梅の花の蕊(ずい)は少しも傷んでいませんし、
私たちの鼻にもなんの痕跡も残りません。
心が通じるという事は、まさにこのようなことです。
供養とは、目に見える変化の現われを期待するものではなく、
雨露が、自然と草木を潤して育てるように、無心におこなわれるのが本当の姿です。

まごころがあれば必ずご先祖に通じるのです」
と、お答えになっています。


「温かいご馳走を供えたい」

毎月25日の朝に、お参りに伺うお檀家さんがあります。
先日の1月25日は、前の日から泊まりで、朝には行く事ができないので、
帰り次第お伺いすると、事前にご了解を得ておりました。
午前10時頃に、30分後に伺う旨の電話の上、訪問し、読経、ご供養をいたしましたが、
いつもであれば、後ろに座って一緒にお参りするおばあちゃんがいないのです。
不思議に思いながらも読経を続けていると、そこに、お供えのお膳が届いたのです。
ご飯と、味噌汁と、煮物などから湯気が出ているご馳走です。

読経の後、「お膳が遅くなってすみませんでしたね」と、90歳に近いおばあちゃんの言葉でした。
そのお宅は若い方がいないので、そのおばあちゃんが料理をしているのです。
「お参りの時に、少しでも温かいものをと思い、
和尚さんが来るときに合わせて作ろうとしたら、遅くなってしまった」というのです。
こちらとしては、伺う時間をもっと早めに連絡すべきだったと、恐縮するばかりでした。

「温かいご馳走を供えたい」
この行いは、ご先祖へ食べていただくという無心の思いから来ているものでしょう。
有本さんの「陰膳」も、まさしく、損得などはかけらもない、
いちずな子を思う気持ちから出てくる行いです。

目には見えなくても、食べてもらえると信ずる心、この行いは、ご先祖に通じるのです。

私たちもいつかは死を迎え、愛する妻や夫、子供たちとも別れていかなければなりません。
父母に、ご先祖に、温かいお膳を供えずにはいられない。
そんな心を持った、温かい家庭を伝えていこうではありませんか。


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