6.「主客融合」(沢庵禅師の話)

「やはり本当だったのか」

今年の正月のテレビ番組を見て、
「やはり本当だったのか」と改めて感心させられたことがありました。
ムツゴロウこと作家の畑正憲さんが、外国の野生のオオカミの群れの中に入って行くシーンです。
「どうなっても知らないぞ、やめなさい」と、現地の人が止めるのも振り切り、
ムツゴロウさんがゆっくりとオオカミの群れに近づき、背中を向けて座るのです。
野生のオオカミですから、すぐに噛み付くかと思えば、そうではありませんでした。
数匹のリーダー格のオオカミが、ムツゴロウさんを警戒しながら、
周囲を歩き回るもの、うなり声で威嚇するもの、
また、あるものは鼻先で突付いてみたり、いろいろとちょっかいを出すようにしていました。
しかし、ムツゴロウさんは、もちろん怖がるでもなく、笑顔を絶やさず、時には、カメラに向かって、
オオカミの動物的行動を解説しているのです。
その内、群れのボスがムツゴロウさんに、まるで飼い犬のように擦り寄ってしまったではないですか。
ムツゴロウさんの膝に乗るように、飼い犬がご主人に甘えるようなそぶりをするのです。

このシーンを見て、「やはり本当だったのか」と思ったのです。
と、言いますのは、佐藤俊明老師の著書『二つの月』に書かれていた話です。
今年のNHK大河ドラマ「武蔵」にも出てくる、沢庵禅師の話です。
要約して載せてみます。

将軍家に朝鮮から珍しい大きなトラが献上され、
将軍徳川家光をはじめ、多くの家来が集まっております。
その中に、沢庵禅師も同席していました。
そのとき、将軍徳川家光が、
将軍家武芸指南番で、剣では天下無双の達人、柳生但馬守宗矩を
トラのオリに入れてみろとなったのです。
柳生は、「はっ、承知仕りました」と答え、
オリの戸を開けさせて中に入り、刀をかまえて、ジリッ、ジリッっとトラに迫ったのです。
トラも刀を向けられたのでは、たまったものではありません。
ウォーッとうなり声をあげ、眼をいからし、爪をむき、今にも飛びかからんとする、すごい形相。
さすがに柳生宗矩、身に一分のスキなくトラを見据え、剣聖と猛虎のにらみ合いが続きましたが、
ついに、トラは宗矩の威厳に屈し、攻撃の姿勢を崩して視線をそらしてしまいました。
ここで、「勝負あり」の声。
しかし、宗矩は気を抜く事ができず、静かに後退し、すばやくオリ外に出たのです。
どうなることかと、固唾を呑んでいた将軍はじめ一同は、万雷の拍手を送ったのです。

このとき、将軍家光は、今度は沢庵和尚に向かって、
「どうじゃ、和尚もやってみないか」との話に、「お望みとあらば」と、気軽に答え、
なんの身支度も身構えもなく、オリに入り、ノコノコとトラの前に進み出て、
犬や猫を可愛がるのと同じ仕草で、トラの大きな頭をなではじめました。
トラは敵意を示すどころか、主人に愛撫される小猫のように目を細め、尻尾を振り、
沢庵の体に頭をこすり付けたのです。
見ていた人々はあっけにとられ、宗矩の場合とまったくちがった光景に
一同感歎しきりであったというのです。
沢庵和尚と柳生宗矩の力量には、これだけの距離があったのです。

というものです。
これを読んだときには、そんなことはないだろう。
言い伝えとは話が大きくなるものか、と思っていたのでした。
そうです。「やはり本当だったのか」なのです。

佐藤俊明老師は、このトラの話を、

柳生宗矩の姿勢は、「主客対立」。まさに対決の姿勢であり、
相手を気にし、負けまい、犯されまいと、常に相手に動かされている。
沢庵和尚の姿勢は、
「主客融合」
彼を我に摂取し、我を対境に没入する、一真実の世界である。


と教えてくださっております。

沢庵和尚(1573〜1645)

天正元年、兵庫県出石町生れ。29歳で京都大徳寺住持となるも、
立身出世を求めない沢庵は、3日間で野僧に徹すべしとして退山する。
紫衣事件の中心人物として羽州(山形県)上ノ山に流罪。
3年後に許される。三代将軍家光の帰依を受け、品川の東海寺住職となる。
柳生但馬守宗矩の心の師。
宗矩に、
いながらにして勝ち、無刀にして相手を制する不動智、剣禅の極意が説かれた
『不動智神妙録』を授けた。
正保2年(1645年)12月、万松山東海寺で没す。73歳
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