3.一日作さざれば一日食らわず
「働かざる者、食うべからず」と似ているけれども違うのです
「一日作(な)さざれば一日食(く)らわず」
この言葉は、中国の禅宗のお坊さん
百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という高僧が言われたお言葉です。
中国の禅宗ではインドの仏教と違い、自給自足の気風が強く、
畑仕事や水くみ、掃除、薪割りなど、日常の仕事を作務(さむ)といって、
坐禅や読経などの修行と同じように大切な修行の一つにあげられています。
この、百丈さんは、弟子をたくさん持つ高僧になっても、
この作務を一日も欠かしたことはなかったそうです。
しかし、高齢になるにつれて、作務は大変な仕事になってきました。
健康を気遣った弟子たちが、今日は天候も悪いし、師匠様に休んでもらおうと
作務に必要な道具を隠し、作務ができないようにしたのだそうです。
しかたなく、百丈禅師はその日の作務を休むことにしました。
「休んでいただけた。よかった。」と弟子たちが喜んでいたところ、
百丈禅師は、その日の食事をいっさい召し上がらなかったのです。
そして、弟子たちの懇願にも耳を貸さず
「一日作さざれば一日食らわず」と答えたのだそうです。
百丈禅師は、作務も坐禅も読経も、全てが修行であり、それを怠ることは
食事をするに値しないということなのでしょう。
自らが確固たる決意の中での生活。これが 「一日作さざれば一日食らわず」であり、
他の者から示される「働かざる者、食うべからず」とは、
意味合いがまったく違うものなのです。
自らを厳しく律する、禅宗の気迫が感じ取れる言葉です。
今日の自分は、食事をするに値する行動をとっただろうか・・・。
反省の毎日です。