2.如 在

如在(にょざい)とは

  「いますがごとく」であります。何がいますがごとくでしょうか。

仕事柄(坊さんですから)、ご先祖のご供養を行うご法事を勤めさせていただきます。
そのご先祖が、施主家の方々から見て、父であったり、母であったり、おじいちゃん、おばあちゃんであったり、それぞれです。
仏壇の前にはお膳が供えられています。
もちろん、ご先祖へのお供えであります。
飾りではありません。
ご法事も飾りではありません。
年忌が当たっているから、しかたがないので法事をしなければならないという方もおられるようですが。

種田山頭火
(下記参照)が詠んだ句に

「うどん供えて 母よ私も いただきまする」

があります。

意味は、読んだままですが、もっと一緒にいたかっただろうな。
一緒にうどんを食べたかったんだろうなという気持ちが伝わってきます。
山頭火の母は彼が少年時代に自殺したため、特に彼の母に対する思いはきっと深かったと思いますので、特に気持ちが伝わってくるのです。

この気持ちは、少なからず皆さんにありますね。

子供を思う気持ちは親には誰しもあるものです。
最近、幼児虐待のような話もよく耳にします。まことに残念です。
しかし、その親たちも、子供を思う気持ちがまったく無かったとは思えません。
子供を思う気持ちは全ての動物に共通するものでしょう。
しかし、親を思う気持ちを持っているのは人間だけではないでしょうか。
そのすばらしいものを持っている人間に生まれることが出来た喜びを感じる場が
ご法事であります。

亡くなったとはいえ、今、ここに、父、母がいますがごとくの気持ちで
お膳を供え、ご供養をしたいものです。



    種田山頭火 (たねださんとうか)

明治15年(1882)-昭和15年(1940) 57歳 山口県防府市の素封家の長男として生まれる
10歳の時に実母が自殺、その死体を目撃する。
早稲田大学を中退後家業の酒屋を継ぐが失敗して破産、妻とも離別し
曹洞宗禅僧となり出家行脚して,
行乞放浪の生活を淡々と句にし、生涯約八万四千句を詠んだといわれている。

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