1.如 来 と 菩 薩

 私たちが手を合わす仏さまに「如来」と「菩薩」がいらっしゃいます。「明王」や「天」もいらっしゃいますが、その件は後ほどとしましょう。

現存された方は釈迦牟尼如来だけ

如来には「釈迦牟尼如来」「阿弥陀如来」「薬師如来」「大日如来」等々が有名ですね。ただし、多くの如来さまの中で現存された方は「釈迦牟尼如来(お釈迦さま)」お一人だけなのです。お釈迦さまは約2500年前にお生まれになった方です。
 先日、ご法事でこのことを話しましたら、「じゃあ、ほかの多くの仏さまは実在した人ではないのですか?」との疑問の発言があったのです。そこで、次のようなご説明をいたしました。
 「そのほかの如来さまや菩薩さまは架空の仏さま」と言えば簡単ですが、それはこういう考えにより存在しているのです。大乗仏教では、お釈迦さまが地球上でお悟りをひらかれ、仏教の真理を説き明かされたと同じように、現在もこの宇宙の中には多くの仏の世界があり、仏教の真理を説き明かしておられるということなのです。阿弥陀如来は西方の極楽浄土、東方では薬師如来というように、多くの仏の世界から私たち凡夫(ぼんぷ 人間)を見守っていてくださるのです。

            如来と菩薩はどちらが偉い

 会社で言えば、「如来」は社長で「菩薩」は中間管理職、私たち人間は平社員にたとえると分かり易いのです。そうすると、如来が一番偉いことになるのでしょうが、こんなたとえをしたのはこういうことなのです。
 如来さまはお悟りを得た方であり、社長の如来さまの方が上位にランクされるわけですが、しかし、ここからが問題です。菩薩さまは、本当は社長(如来)になれる力をお持ちなのですが、あえて中間管理職を選んだ方なのです。考えてみてください。会社が社長と平社員だけで成り立つでしょうか。平社員の人間の指導をするには課長や係長という中間管理職的な役目が必要なのです。
 「菩提心を発(お)こすというは、己れ未だ度(わた)らざる先に、一切衆生を度さんと発願し営むなり」曹洞宗の宗典である『修証義』「第四章 発願利生」ので出しの部分です。菩提心とは菩薩さまの心。その菩提心とは、自分は先に渡っていくことができるのだけれども、その前に、後ろから来るすべての人たちを自分より先に渡してあげる心を持つことです。「自未得度 先度他(じみとくど せんどた)」という言葉があります。読んで字の如しです。

 「自分と他人という考えにとらわれぬ自由の境地(空 くう)を尊び、六波羅蜜(ろくはらみつ)を実践して菩薩となる」という大乗仏教の教えそのものなのです。

 間違っても「自分さえ良ければ他人のことは知るものか」の考えは控えなければなりません。

 さて、如来と菩薩はどちらが偉いのか。そんなことを考える必要がないのがわかったのではないでしょうか。
 如来さまにはほど遠い私たち凡夫ですが、少しでも菩薩さまの心を持つ努力を日々実践していきたいものです。

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